ある程度ロードバイクを経験すると誰しもが購入を検討するクロモリのロードバイク。
決して走行性能が高いわけでもなく、むしろ割高のクロモリフレームにお金をかけてしまう不思議な心理状態の背景には一体なのがあるのか?
ロードバイクは速く走るための、いわば自転車のサラブレッド。ロードバイク誕生以来、その進化は留まることを知らず、クロモリ→アルミ→カーボンとフレーム素材の主役はどんどんと進化していきました。
そもそも速く走るためのロードバイク、本来の存在意義と照らし合わせるとクロモリ回帰などないはずなんです。
ではなぜ中高年を中心としたクロモリのロードバイク回帰が発生するのか?
管理人自信の経験も踏まえて、以下に分析します。
身体の能力の限界を自覚した時の自己肯定
私自身も認めたくない事実ではあるが、自信の体力衰えや身体能力の限界への気付き、これらは重要なきっかけであると思います。
精進は続けてはいるが、若い頃のように走ることができなくなった、競技で勝ち負けに至るまでのパフォーマンスを発揮できなくなった。また人によっては。どんなに努力をしても勝ち負けに至るまでの領域に達することができないという諦めもあると思います。
もともと高性能フレームやコンポーネントに投資する動機のひとつは、「勝ちたい、一番になりたい」という気持ちの表れです。
このモチベーションが揺らいだときに、自己肯定を図るための価値観の変化が起き、勝ち負けではなく、自分の体力に見合った楽しみ方や機材の味を求める志向に切り替わるのだと思います。
管理人は推奨する「イジル楽しみ」も勝ち負けとは違う価値観だと考えます。
こちらも自己肯定なんでしょうね、きっと。
ファンライド志向の浸透による価値観の変化
自己肯定という悲観的な切り口を語ってしまいましたが、自転車業界全体のトレンドの影響の少なからずあるとも考えています。
自転車業界全体の方向とし、競技色の強いイベントよりもロングライド等のファンライド的な楽しみ方が台頭した結果、ロードバイクに求めるクオリティが変化したことも要因だと思います。
コンフォートモデルの台頭も上記背景の結果のひとつであると言えます。
業界の動きとしては、競技人口の裾野を増やす施策として、ストイックすぎるカラーを薄めたいという意向が働いた商業的な意味合いも間違いなくあると思います。
また自転車に限らず性能重視の風潮はどんどん弱くなっているのかもしれません。
自動車業界で例えるなら、過去の馬力信仰はなりを潜め、低燃費や安全性に振った自動車が大人気となっています。6気筒の自動車なんてなかなか見かけなくなりました。
これらの背景を考えると先々はロードバイクは汗をかいてもがくものでないという価値観にも変わるかもしれません。
以上、最後までお読み頂きありがとうございました。